ASIANA CUP

第12回クムホ・アシアナ杯日本語エッセイ部門受賞作品

第12回クムホ・アシアナ杯「話してみよう韓国語」高校生大会、日本語エッセイ部門の受賞作品を掲載しています。

最優秀賞

オモニの台所
中央大学杉並高等学校(東京)3年 山崎 理咲子

 コリアンタウンとして今、若者に大人気の街、新大久保。以前から数多くの焼肉店が軒を連ねていたが、十数年前はまだ韓国ブームは来ておらず、女子高校生が足を運ぶような場所ではなかった。
 私は生まれてから六歳までこの新大久保近辺で育った。父が勤めている会社の社宅が大久保駅から徒歩数分の場所にあったのだ。社宅の近くには「オモニの台所」という韓国料理店があり、私は両親とよく晩ご飯を食べに行った。あの店で食べていた料理が生まれて初めての韓国料理だった。
 オモニの台所」は韓国人の母娘が切り盛りしているお店だった。“オモニ”は韓国語で「お母さん」という意味だ。大久保に住む韓国人が集まり、店内にはいつも韓国語が飛び交っていた。私たちがお店に入ると、オモニはいつも片言の日本語で「イラッシャーイ」と笑顔で迎えてくれた。  テーブルにつくと、キムチやナムルなどの大量の前菜が運ばれてくる。私はオモニ手作りの辛味が少ない白キムチが大好きで、父と母の分も一人で平らげていた。お皿が空になるとすぐに新しい小皿が出てくる。食べても食べてもオモニがすぐに追加してくれるのだ。  韓国の食文化では料理を少し残すのがマナーなのだという。残すことで「たくさん食べて満足です」という気持ちを表すのだそうだ。オモニはいつも残った前菜をタッパーに入れて持たせてくれた。おかげで、私は家でも大好物の白キムチを楽しむことができた。
 両親の好物は牡蠣のキムチだった。二人はテーブルいっぱいに乗った前菜や脂の乗ったサムギョプサルを食べたあと、牡蠣のキムチをつまみにお酒を飲むのが好きだった。父と母の食事が終わるのをつまらなそうに待っているのを見たオモニとお姉さんは、私を厨房に呼んで一緒に遊んでくれた。  サツマイモが余っているとストーブで焼き、食べさせてくれた。熱々の焼き芋を頬張る私に、オモニとお姉さんは「美味しいは韓国語で맛있어요」と教えてくれた。  私はそれ以来、初めて覚えた韓国語を使いたくて、料理を食べる度に「맛있어요!」とオモニとお姉さんに話しかけていた。それを聞いたオモニとお姉さんの嬉しそうな笑顔を見るのが私の楽しみだった。
 父の仕事の都合で引っ越してから「オモニの台所」に行くことはなくなってしまったが、あの店での記憶はとても暖かいものとして残っている。最近のブームによって、韓国という国が以前よりも身近になったと感じる一方で、テレビや新聞などで韓国と日本の政治的な対立のニュースを見ると、私はとても悲しい気持ちになる。  あの時のオモニとお姉さんの笑顔を思い出すからだ。イデオロギーの対立や国籍の違いは、なぜ怒りや悲しみを生み出してしまうのだろうか。言葉や人種は違っても人と人はきっと分かり合えるはずだ。おいしい韓国料理を食べオモニとお姉さんの優しさに触れてきた私はそう信じている。

優秀賞

Shake it!!
東京都立豊多摩高等学校 1年 萩谷 叶美

中学から高校に上がると、殆どの人が給食からお弁当になるでしょう。私もその一人で、高校生になったばかりの頃はみんなで囲んだカレーライスやきな粉揚げパンが恋しかったですが、今はそれぞれ違ったお弁当を見合ったりして楽しんでいます。 さて、そんなお弁当を持ち運ぶとき、皆さんはどうしますか?ひっくり返したり傾けたりして中身が動いてしまわないように気をつけますよね。ところが、韓国には全く正反対のお弁当が存在するのです。
その名はズバリ「トシラク」。なんだか優しい響きですが、その食べ方は名前からは想像も出来ない壮絶なものなのです。まず材料について説明すると、ざっくり分けて具材とご飯の2種類が入っています。具材は卵とキムチとハム、それに韓国のりとたくあんのような漬物。これらをお弁当箱に広げたご飯の上に乗せます。これでお弁当は完成です。ここまでだけで見れば、なんだ、ただのシンプルな韓国風弁当じゃないか、と思われますが、トシラクの真の姿はここからなのです。
いただきます、をしたら、まず具材を箸で刻みます。そして、あらかた具材が細かくなったら一度蓋をします。しっかり弁当箱を持ったら、振る。振る。振る。上下左右、斜めもありで、激しく振り混ぜます。混ぜ終わったら完成です。見た目は赤いぐちゃぐちゃした物体Xですが、気にせず一口食べてみましょう。その瞬間、キムチの辛味をハムと卵がまろやかに包み込んだところに、漬物と海苔が程良いアクセントになった、最強の混ぜご飯があなたの味覚を刺激するはずです。
和食は盛り付けを大切にします。そして、食べる人もその見た目を楽しむ為に、食べる前に料理をかき混ぜることはしません。しかし、韓国にはビビンバなど、自分で混ぜて食べる料理が多くあります。私はビビンバもあまり混ぜずに食べていたので、ビビンバが韓国語で「混ぜる飯」という意味だと知ったときはとても驚きました。
しかし、トシラクの食べ方を母から聞いたときの衝撃はビビンバのそれよりはるかに大きかったのを覚えています。弁当を振り混ぜるという自分の中でのタブーを犯すのは初めは抵抗がありました。けれど、一度振ってみると、そんな固定観念はすぐに崩れ去りました。段々と振るのが楽しくなってきて、ノリノリで弁当をシェイクする自分がいました。
そこで気づいたのは、自分がタブーだと思っていたことも、実はそう思い込んで勝手に壁を作っていただけかもしれない、ということです。もちろんやっていい事と悪い事の区別は必要ですが、思い込みの壁を取り払うと、新しいものに出会えるということをトシラクが教えてくれました。反対に、海外に行って知らないものに触れることは自分の思い込みを取り払い、視野を広げてくれると思います。私はまだ韓国に行ったことは無いけれど、いつか訪れたら、トシラクとのような新しいものとの出会いを探したいです。


ニュースの壁
北海道釧路湖陵高等学校 2年 山上 彩夏

「韓国は反日の人ばかりなんだよ。」、「韓国の授業では日本のことを悪いようにしか言わないんだって。」これは、私が韓国について最初に知ったことである。
私は高校で外国語部に所属している。今年の11月に、外務省が行っている対日理解促進プログラム JENESYS2018 日本青少年訪韓団を利用して外国語部で1週間韓国に行った。このプログラムは韓国の高校の生徒と授業を受けたりホームステイをしたり、韓国の伝統・文化について学び、日韓の交流を深めるというものだ。
私にとって初めての海外であり、もちろん初めての韓国でもあった。私は韓国で過ごす1週間のことを考えて期待を日に日に募らせていった。出発が近づいてきたとき、ニュースで日韓関係について報道していた。その内容は決して良いものではなかった。そのニュースでは韓国人が日本のことを悪く言っていたり、デモを行ったりという内容であった。その中でも特に目立った言葉は、「反日」だった。そして、私は少し「反日」という言葉が引っかかったまま出かけることになった。
韓国の高校を訪れた時、私は知らずと身構えていたと思う。なぜならあの時の言葉が引っかかっていたからだ。訪れてまず行われたのは、歓迎式。講堂に足を踏み入れると、目の前にはたくさんの生徒と、聞いたことのないほどの歓声だった。私はこの一瞬で心に引っかかっていた何かが消えた。初めて会った外国人、それにまだ一言も話していない、声も聞いていない私をこんなにも歓迎してくれる人がいる。
それだけで私は心の底から嬉しかった。その後、学校の廊下を歩いていれば、日本語で「こんにちは」と笑顔で挨拶をしてくれた。一度だけではなく、何度も。私も慣れない韓国語で「アンニョンハセヨ」と返す。もう、その頃には何とも言えない温かさによってあの言葉の存在はかき消されていた。
私は帰国してから改めて考えた。「ニュースの内容は本当に真実を伝えていたのか。」と。正直、私は少しの間しか韓国にいなかったし、関わった人も少ない。だから、はっきりしたことは言えない。でも、一つだけ自信を持って言えることがある。それは、直接目で見て、聞いて、感じないことには何も分からないということだ。人から聞いた情報だけですべてを決めつけてしまうと、その印象だけですべては決まる。もちろん、その情報の中には正しいものもあるだろう。それに、日本をあまり良い国だとは思っていない人は少なからずいると思う。でも、それはほんの一部だ。ニュースは本当に悪いところだけを取り上げていると思ってしまった。その時、私は思った。自分自身が見た・聞いた・感じたことを信じるのが一番だと。
そして、ニュースの壁を壊せるのは自分自身しかいない、と。

審査委員特別賞

김치 주세요
中央大学杉並高等学校 3年 荒木 友香

 新大久保を訪れると、まだ行ったことがない韓国にいるような感覚になる。私は夜の新大久保が特に好きだ。飲食店が立ち並び、まっすぐ歩けないほど人が多く、道も狭い。ごちゃごちゃして明るいが、一本路地を入れば人は減り、静かで落ち着いた雰囲気の店もある。本当の韓国の街はどうなのだろうか。私は韓国に憧れのようなものを持っている。それはメイクの真似をするということなどとは少し違う。韓国という国が「物語」の中にあるように感じるのだ。誰にでも似たような感覚はあると思う。ドラマの撮影で使われていた場所に行くと、自分がその物語に入り込んだような気になる感覚。私はその感覚が好きだ。それを求めてよく新大久保に食事に行く。
 新大久保で食べるキムチはおいしい。噛めば噛むほど旨みが口に広がる。白菜のシャキシャキとした食感、唐辛子のピリッとした辛さ、その中にある酸っぱさ。この複雑な味がクセになるのだ。友達から教えてもらった、たった一つ知っている韓国語のフレーズ「김치 주세요」を連発してお代わりを頼むのだ。
 しかし、韓国で食べるキムチの味を私は知らない。本当の韓国のキムチはどうなのだろうか。まだまだ知らないことはたくさんある。
 私には好きな人がいる。それはそれで幸せと言っていいのだが、ふと不安になることがある。私はこの人のことが本当に好きなのだろうか。<恋>ってなんだろう。考えれば考えるほどわからなくなってくる。
 「映画や本の中の世界を味わいたいだけ?」「恋愛を実感したいために好きと言う感情を作り出しているだけ?」一緒に出かけて、彼と手をつないだのはどうしてだろう。本当の<恋愛>ってどういうものなのだろう。
 私は気づいた。これってキムチと同じじゃないか。本場のキムチを食べたことがないのにキムチ好きと言い、新大久保の街で韓国に行ったような気分になっている。私の恋愛も恋した気分になっているだけなのではないか。不安は募るばかりだ。私は本当の恋がしたいのだ。疑似体験で満足したくはない。本物でなくてはだめなのだ。
 はじめは誰だって疑似体験から始まるかもしれない。でも、私はもう一歩踏み出して本物の世界を知りたい。そうだ、私は本場のキムチを食べなくちゃいけないんだ。本場のキムチと新大久保のキムチ、全く同じなのか違いがあるのか・・・それを確かめれば、私の<恋愛>が見えてくる気がする。私は韓国に行かなきゃだめなんだ。
 高校を卒業したら韓国に行って本場のキムチを食べてこよう。そうすれば、恋の道筋が見えるはずだ。本物の大人の女性になる為に私は韓国に行く。「김치 주세요」という言葉だけを頼りにして。
 


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