ASIANA CUP

第11回クムホ・アシアナ杯日本語エッセイ部門受賞作品

第11回クムホ・アシアナ杯「話してみよう韓国語」高校生大会、日本語エッセイ部門の受賞作品を掲載しています。

最優秀賞

スンドゥブチゲハンバーグを頼む客は変わり者が多い
中央大学杉並高等学校(東京)3年 中村 綾菜

 スンドゥブチゲハンバーグ。この言葉を知ったのは去年の秋、デニーズで働いていた時だ。秋の新メニューとして登場したスンドゥブチゲハンバーグ。なぜか古い儀式に使われていた言葉のような気がした。客の注文を確認するたび、私は客に対して古い儀式を行う。そして、スンドゥブチゲハンバーグを注文する客も、独自のワールドを持っている人が多かったような気がする。
 休日午後三時くらいになると、上下青い服、肌は色黒の人が来る。色のコントラストが美しいと従業員の間で有名だ。カズレーザーの色相環の対極にいるような彼は、いつも五つしかないカウンターテーブル二十五番を希望し、席につくやいなやアイスコーヒー、ミニチョコサンデー、しめにスンドゥブチゲハンバーグを注文する。彼にとってはミニチョコサンデーは主食でスンドゥブチゲハンバーグはデザートなのだ。彼の注文するアイスコーヒーには必ずガムシロップを四つ付けなければいけない。暗黙の了解というやつだ。三十分ほどで食事を終えると、あっさり帰っていく。後片付けをしに二十五番に向かうと、そこには毎回皿や箸、ガムシロップの空容器で描かれた地上絵が出現する。多少行儀が悪いと思いながらも、彼が描く芸術を楽しみにしている私がいる。
 平日学校帰り、午後七時くらいから働き始めると、少し体の肥えた客が来る。彼もスンドゥブチゲハンバーグを頼む変わり者の客だ。まず、注文時には一言も喋らず、メニューを指してうなずくだけである。注文の確認が終わると、彼は目を閉じ、手を合わせ、厳かに拝み始める。この時点で私の頭の半分はクエスチョンマークが占めている。更に、帰り際には、机に神が置いてある。午前五時五十二分、時刻が書かれていた。先輩によると、彼も常連の一人で、置手紙にかかれている時刻は翌日の日の出時間らしい。私の頭の中はクエスチョンマークで満たされた
 彼らの存在は「働く」ということに嫌気を感じていた私の日常にスパイスを加えた。変わり者は「みんなが同じく足並みをそろえて進め」という社会では敬遠されがちだが、彼らの個性は、少しずつ世の中を明るくするのかもしれない。一人一人の個性を尊重する風潮はあるが、実際、みんなと同じ安心を選んでしまうというのが日本人である。正解だけを探究する世界ではなく、個々が個性を爆発させる十人十色、億人億色の世界になったらどんなに楽しいだろう。変わり者が個性だということではないが、それぞれが何かしらはオリジナルの武器を持っているはずである。かくいう私も、この武器に磨きをかけるため、精進していきたい。まずは、変わり者に敬意を表し、スンドゥブチゲハンバーグを食べようと思う。

優秀賞

신유우(親友)
中央大学杉並高等学校3年 竹下 茉優

 「パクさん」、「はい」、その時その場はざわめきの声で溢れかえりました。「パクだってー」と、明らかに日本人ではないこの名前をからかい笑う声がありました。パクさんは小学校の途中で転入してきた韓国人で、たちまち悪い意味で注目の的となりました。この出会いが私の考えを変えたきっかけです。
 男子は教室でも廊下でもすれ違うたびに「さっさと韓国に帰れ」などとからかい、喧嘩になることも多くありました。パクさんと仲良くしていると一部の男子からの目線があり、私自身も韓国に対して良いイメージがなかったので、できるだけ関わらないようにしていました。しかしクラブが一緒になり関わらざるを得ない状況となってしまいました。初めは正直嫌でしたが、関わっていくうちに私はパクさんに小学生ながらも惹かれ、とても仲良くなり、韓国のことを色々教わりました。一番初めに教えてもらったハングルは自分の名前です。初めてハングルで書いた自分の名前を目にしたとき、なんとも言えない嬉しさを感じました。必死に自分の名前のハングルを覚え、嬉しくて色んなところに書いたことを今でもはっきりと思い出します。ハングル以外にも韓国のキムチは日本と比べものにならないくらい辛いことから韓国人のカップルのことまでたくさんのジャンルを教わりました。これが、私が韓国に興味を持つきっかけとなりました。
 しかし先入観と偏見でのからかいは続きます。私は何も言い返せずパクさんに対して結局何の助けもできませんでした。それでもパクさんは私のことを親友だと言ってくれました。卒業前にパクさんんが韓国に帰ることを知り、私は手紙を書き、その手紙の最後に신유우と書きました。まだ韓国語以前に外国語の知識が全然なかった私は、日本語をそのままハングルになおせば通じるとおもっていたのです。きっとパクさんには親友だということが伝わらなかったと思います。
 自分の思いが伝わらなかったこと、そしてからかってくる人たちに何も言い返せなかったことに今でも後悔が残ります。今は前よりも外国人がクラスにいることが多くなり、私の時のようなからかいは少ないのかもしれません。しかし、韓国人に対して良くないイメージを持っている人はまだまだいるのが現状です。しかもそのような人が抱いているイメージは前の私と同じ様に、ほとんどニュースなどの報道で知った韓国像にすぎないと思います。このような人が日本にいる限り、日本と韓国の関係は真に良くなることはありません。
 私はこの신유우がきっかけで、もっともっと韓国について学び、実際に自分の足で韓国に行き、自分の目でしっかりと見て、そして自分の言葉で韓国の良さを身近な人から伝えていこうという志が芽生えました。韓国に対して良いイメージがなかった私を、このような考えに変えさせてくれた「신유우」に本当に感謝しています。

審査委員特別賞

ビビンバの母国を知るのに十年掛かった
神奈川県立白山高等学校3年 二反田 直輝

 小学校の給食で、たまにビビンバが出された。子供向けだから本格的なものではなかっただろうが、僕はそのビビンバが好きだった。何せ肉が入っていたからだ。小学生男子の八割は、肉の入っている料理なら大体好きだ。僕はビビンバという名前も好きだった。「ビバ」とか「サンバ」とか、なんだか陽気で西洋風の響きがしておかしみもあって、発音していて楽しかった。今もそういう意味で、ビビンバという単語が好きだ。
 さて、その響きから僕はすっかり、ビビンバはアメリカの南のほうの料理だと思っていた。日本列島とは離れた地で、サンバマン達が貪るように食べる料理なんだと思っていた。でも違った。ビビンバは英語ではなく韓国語で、韓国料理だった。あの西洋風な響きのビビンバは、東アジアの韓国で生まれたのだ。
 それを知ったのは高校三年生、ハングルの授業を受けたときのことだった。「韓国の料理」みたいなページで、当然のようにそこにいたビビンバに、とても驚いた。ケバブと同じ文化圏にあるとばかり思っていたから、赤だと信じていたシャツが桃色だったレベルの衝撃だった(ちなみに、ケバブの事も最近までメキシコ産だと思っていた)。
 けれどそもそも、ビビンバは西洋料理だと教えられた記憶もないのに、どうしてそう思い込んでいたのだろう?答えはなんとなくだ。「なんとなく」。きっと僕は、その「なんとなく」によって間違って捉えている物事が、まだたくさんあるのだろう。ビビンバのように調べもせずにこういうものだと捉え、そのままにしてきたものがまだまだ残っているに違いない。
 そしてその「なんとなく」による間違いが、間違いであると知ったとき、僕はいつだって驚き、それから感動した。僕は十八年に満たないこの人生で色々な思い違いを指摘され、そのたびに感動してきた。ビビンバの現実だって、意外性への衝撃こそあれ、裏切られた気持ちになったりはしなかった。  なんか面白いな、と感じた。何が面白いかといえば、それはビビンバの出生地を期せずして知ったことだ。僕は、ハングルの授業を選択した結果、ビビンバを知ることになるなんて全く予想していなかったのだ。でも知り、感動した。  それはとても面白くて、素敵なことじゃないか?
 未知の文化に触れた結果、自分の中の常識が覆る感動、「なんとなく」で済ませたままだった物事について知ることになる巡り合わせに直面する。
 語学に限った事じゃない、例えばデッサンや保育の授業でも同様の場面はあった。そういうのって凄く楽しい。もっと色々な事を勉強して、たくさん感動したいという気になる。
 僕が思うに、勉強をする意味はその感動にあるんだろう。様々な分野に触れて知って、「なんとなく」で生まれた思い違いを壊すことにこそ勉強の喜びがあるのだ。長期の勘違いに気づくことは感動と同時に恥ずかしさも呼ぶけれど、まあそれくらいでちょうどいい。何事も、甘辛なくらいが僕の好みだ。 


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